仏教における瞑想法は大きく分けて三つあり、心や思考の散乱や混乱を止めて穏やかにする止行。事物の真理である因果の流れ、縁起を観る観行。そしてそれらを同時に行う止観行の三つである。各宗派によって多少の違いは出てくるが、基本的にはこの三つで、心と思考の安穏と智慧を磨き苦悩を無くしたり精神や知性を高める事を目的としている。まずは止行から会得して観行にいくのが一般的であるとされている。
瞑想方法
どの瞑想においても基本的には座禅を以て行う。まず三事を調える。三事というのは身、息、心の事で座禅を組む際に執り行うものである。
まず座処についたら、半跏座もしくは全結迦にて座す。半跏座は左脚を持って右脚の上に置きそのまま身に近づけて左脚の指と右の腿を斉しく揃え、右脚の指と左脚の脹脛とを揃えて尻と両ひざの三点を揃えてバランスをとるように座る。全結迦の場合、下になった右脚を上げ左脚の上に置く。体を前後左右にゆすって座処を整える。手は左手の掌に右手を載せ臍の前に置き親指を軽く合わせる(法界定印)。定印は色々とあるので自分に合ったものでも良い。次に身を正す。端直にして、背骨を相対して曲がることなく反ることもないようにする。頭は鼻と臍とを相対して、偏らず斜めにならず、俯かず仰がずして、面を平らにして正しく住する。次に息を正す。口を開き胸中の穢気(えげ)を吐き去る。身のなかの百脈の通るところことごとくを放ち、気によって出ていく想うこと。出し尽くしたならば口を閉じ、鼻から精気を入れる。このようにして三度繰り返すこと。次に口を閉じ唇と歯をわずかに相支え付け、舌を上げて上顎につける。次に眼を閉じる。僅かに外光を断ずる程度に閉じる。そしてむやみに身首四肢を動かさないようにする。ここまでが身を調える相である。
次に息を調える。息を調えるには四相ある。一に風、二に喘、三に気、四に息である。前の三つを不調の相として、後の一つを調える相とする。鼻中の息の出入に音があることを知ることが風の相、息に声はなくとも息の出入が結滞して通らないことを知ることが喘の相。息の出入が細いことを気の相。声もなく結滞することもなく荒々しくなることもなく、息の出入が綿々として穏やかで、身に染みわたり安穏で情に悦を抱くことを息の相とする。風を守れば意識が散乱し、喘を守れば滞り、気を守れば労し、息を守れば定まる。もし、前三つに陥ったならば三法を以て解決できる。一には俯いて心を案ずる。二には身体を寛放する。三には気が気孔にあまねく出入りし通洞して障礙するところなしと想う事。もしその心に集中すれば息をして整えるようにする。そうすれば心が定まり易くなる。ここまでが息を調える相である。
次に心を調える。心を調えるというのには二つの意義がある。一には乱念を調伏して精神や思考が散乱する事を抑える。二には沈・浮・寛・急をして所を得る。もし座の時に心が暗くなり思いが定まるところなく、頭が低垂することを沈の相という。そういった時は念を鼻端と心に集中して心が散乱することを抑える。これで沈は治まる。もし座の時に心が好んで揺れ動き、身もまた落ち着かず、外の事ばかり気にしてしまうことを浮の相という。そう言った時は心を下に向けて案じ、意識を臍のなかに集中して、諸々の乱念を制する。これで浮は治まる。心が定まり住すれば、すなわち心は安静になり易くなる。沈にもならず浮にもならない。座した時に心に思っていることをあれこれ考えて定に入る事を念望して偏ると、気は上に向かい、胸の奥が締め付けられる思いになる。そういった時は、その心を寛放して気は下に流れると想うべきである。そうすればおのずと治まる。人間の心というのは遊慢にして身が傾くことを好むということを知らなければいけない。これが寛なる想と急なる想である。これが心を調える相である。
こうして三事を調え座禅を組んで心を散乱させずに穏やかに定まる止行を繋縁守境の止という。止行にもいろいろとあるが、まずはここが始まりになる。ここから、前に紹介した観無量寿経の中の観行であったり、諸々の瞑想に繋がっていく。
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