あるところに長爪梵志という人がいた。さらにセンニバサクタラという人とサッシャカマセンダイという人がいた。これら閻浮提の大議論師の輩は言った。
「ある論を破することができ、ある語を壊すことができ、あらゆる執著を転ずることができる。それ故に、実法の信すべき恭敬すべきものも有る事が無い。」と。
≪あらゆる論議を打ち破る事ができ、あらゆる言葉の意味を壊すことができ、あらゆる執著を他のものに転ずることができ執著に囚われる事が無い。それ故に、仏の理法を信じるべき根拠を慎み敬う事が有るという事も無い。≫
「舎利佛本末経」の中に説いているように、シャリホの叔父のマカグキラ(長爪梵志の出家名)は、姉の舎利と論議して、姉に敵わなかった。マカグキラは思惟し思った。「これは姉の力ではない。きっと智慧の人を懐妊していて、言葉を母の口に寄せたのだろう。未だ生まれていないのに、すでにこのようである。生まれて成人になったならば、一体どのようになるのか。」と。長爪は思惟し終わって、驕慢の心を生じ、広く論議するために出家して梵志となり、何天竺国に入って初めて外道の経を読んだ。
≪男は姉の舎利と論議して、姉に敵わなかった。その事を受け入れられず、高慢な心が生じた男は思惟して思った「これは姉の力ではない。きっと智慧の人を懐妊していて、その子が言葉を母の口に口寄せしたのだろう。未だ生まれてないのに、すでにこのようである。生まれて成人になったならば、一体どのようになるのか」と。男は思惟し終わって、驕慢の心を生じ、時に備えて広く論議するために出家して梵志となり、何天竺国に入って、初めてヴェーダの経を読んだ。≫
諸々の人々は問うて言うた。「汝は何を求めようと志し、何の経を学習するのですか。」と。長爪は答えていった。「十八種の大経をことごとく読もうと思う。」と。諸々の人々は語って言った。「汝の寿命を尽くしたとしても、なお一つを知る事さえ不可能である。どうしてことごとく究め尽くす事ができようか。」と。この言葉を聞き長爪は思った。「昔、驕慢の心を起こして姉の勝つところなり、今、此の諸々の人々にまた軽んじ辱められる。」と。この二事のために、自ら誓言をおこした。「我は爪を切らずして、必ず十八種の経書を読み尽くそう」と。人々は爪の長いのを見て、それに因んで長爪梵志といった。
≪諸々の人々は男に問い掛けた。「汝は何を求めようと志し、何の経を学習するのですか?」と。男は答えていった。「ヴェーダの経典を全て読み尽くし、全てを究めようと思う。」と。それを聞いた諸々の人々は語って言った。「汝の寿命を尽くして全てをその事に捧げたとしても、なお一つを知る事さえ不可能である。どうして全てを究め尽くすことができようか。」と言って、ある人はそれは尊い事だと言って冷笑し、ある人はその事を讃えて手を合わせていた。この言葉を受け男は思った。「昔、高慢と驕慢の心を起こして姉に論議を挑み、姉に勝利を奪われた。そして今、ここにいる多くの人々に軽く見られ、あの時と同じようにまた辱められている。」と。この二つの出来事を受けて、男は自ら誓いの言葉を立てた。「我は爪を切らずして、必ずやヴェーダの経典を読み尽くし、究め尽くそう。」と。人々はこの男の爪が長いのを見て、それに因んで長爪梵志といった。≫
この人は、種々の経書の智慧力を以て、事あるごとに、これは法、これは非法、これは応、これは不応、これは実、これは不実、これは有る、これは無なり。と誹って、他の論議を破したのである。例えば大王の狂った像が暴れまわり踏み荒らしてるがごとく制止する者のいないようなものであった。
≪そして長爪梵志はヴェーダの経典の智慧力を以て、事あるごとに、これは法、これは非法、これは応、これは不応、これは実、これは不実、これは有る、これは無なり。と論議して、論難相手を誹って、他のありとあらゆる論議を論破したのである。それは、例えば大王の所持する狂った像が、暴れまわり踏み荒らしていくがごとく、それを制止する事は誰にもできないようなものであった。≫
このように長爪梵志は、論議の力を以て、諸々の論師を打ち伏せ終わった。長爪梵志は故郷に帰郷しようと思い、マガダ国の王舎城のナラ村に至った。生まれ故郷に行き、人に問うていった。「我が姉の生んだ子は、今何処にいるのか」と。村人が語って言った。「汝の姉の生んだ子は、生まれて八歳にして、あらゆる経書を読み尽くした。年が十六歳になって、論議ではあらゆる人より勝れていた。出家者で姓はクドンというお方がおった。その人の弟子となった。」と。長爪はこれを聞いて、たちまち驕慢の心を起こし、不信の心を生じて、このようにいった。「我が姉の子こそは、聡明なることはこのようである。今となってはどの論師でも打ち負かせる私が、若き頃に打ち負かされた事が有る。という程で、これまで色々なとこに行ったが、そんなあの子が自分以外の弟子になる事は信じられない。彼は如何なる術を以て騙し、頭を剃って弟子としたのか。」と。長爪はこの語を言い終わって直ちに仏のところに向かった。
≪このように長爪梵志は、論議の力を以て、巡り合う様々な名のある論師を打ち伏せ終わり、もう相手がいなくなったところで、故郷に帰郷して姉と姉の子に会おうと思い、マガダ国の王舎城ナラ村に帰郷した。生まれ故郷に着いたところで村人に問いかけた。「我が姉の生んだ子は今何処にいるんだ。」と。村人が語って言った。「汝の姉の生んだ子は、生まれて八歳にして、あらゆる経書を読み尽くした。年が十六歳になって、論議ではあらゆる人より勝れていた。そこに出家者でクドンという方がおった。そしてその人の弟子となった。」と。長爪はこれを聞いて、たちまち驕り高ぶって人を侮る心を起こした。自分を打ち負かした姉と姉の子が、自らよりも優れた相手を認めて弟子入りしたなどという事はあってはならん事だという不信の心を生じて、このように言った。「我が姉の子こそは、聡明なる事は明白だ。今となってはどんな論師であろうとも打ち負かせる私が、若き頃に打ち負かされた事がある。という程の才を持っている。これまで色々なところに行き、色々な論師に会い、論議をしてきたが、全てを論破してきた。その私を若き頃とはいえ打ち負かしたあの子が、誰かの弟子になる事など到底信じられぬ。そのクドンという出家者は如何なる術を以て姉と姉の子を騙し、頭を剃らせたのか」と。長爪はこの言葉を言い終わって、直ちにその出家者クドンのところに向かった≫
その時、舎利佛は、初めて受戒して半月であった。仏の傍に立って扇で仏を扇いでいた。長爪梵志は、クドンという姓の仏を見て挨拶の言葉を言い終わった。一方に座り、このように思った。「あらゆる論議を破することができ、あらゆる語を壊すことができ、あらゆる執著を転ずることができる。その中で何ものがこれ諸法実相なのか、何ものがこれ第一義なのか、何ものが本性なのか、何ものが自相であって傾倒する事が無いのか」と。このように思惟して、例えば大海の水の中で底を究め尽くそうとするようなものであった。これを求めてすでに長い時間が経っていたが、一法さえも、実に心の中に入る事さえできなかった。そして思惟した「彼は、如何なる論議の道を以て、我が姉の子を得たのか。」と。この思惟をなし終わって、仏に語って言った。「クドンよ、私はあらゆる法を受けません。」と。仏は長爪に問われた。「汝はあらゆる法を受けないという。この見解を受けるかどうか。」と。仏が示された見解のところの意味は、汝はすでに邪見の毒を飲んでいる。今、この毒気を出して、あらゆる法を受けないといった。この見解を汝は受けるかどうかという事である。
≪その時、舎利は仏弟子と認められ、初めて受戒して半月であった。出家者クドンという仏の傍らに立ってクドンという姓の仏を扇いでいた。長爪梵志はクドンという姓の仏を見て挨拶の言葉を言い終わり、一方に座って、このように思った。「あらゆる論議を打ち破る事ができ、あらゆる言葉の意味を壊すことができ、あらゆる執著を他のものに転ずることができ執著に囚われる事が無い。その中で、なにものがこれ諸法実相なのか、何ものがこれ第一義なのか、何ものが本性なのか、何ものが自相であって傾倒することがないのか」と。このように思惟して、これらを知る事は、例えば大海の水の中で、その底を全て知り尽くし究め尽くすようなものであった。これを求めてすでに長い時が経ったが、一法さえも、実に心の中に入れる事さえできなかった。そして思惟した。「彼は如何なる論議の道を以て、我が姉の子を得たのか」と。これらの思惟を為し終わって、仏に語っていった。「クドンよ。私はあらゆる法を受けません。」と。仏は長爪に問われた。「汝はあらゆる法を受けないという。この見解を受けるかどうか。」と。仏が示された見解のところの意味は、汝はすでに邪見の毒を飲んでいる。今、この毒気を出して、あらゆる法を受けないといった。この見解を汝は受けるかどうかという事である。≫
その時、長爪梵志は、優れた馬が鞭の影を見ただけで直ぐ覚り、直ちに正道につくように、長爪梵志もまたこのように、仏の言葉の鞭の影を得て、心に入れて、直ちに驕り高ぶりを捨て去って、自らを恥じて頭を下げ、このように思惟した。「仏は、私を律して二処の負門の中に着かされた。もし私が、この見解を受け入れると言ったならば、私の返答は戯言となり、自らの愚かさを認める事になる。この事は多くの人が知っている。どうして自ら、「あらゆる法を受けない。」といったのか。今、この見解を受けると言えば、これは現実において妄語であるからである。実際のところ真理を捉えてないからだ。この戯言の負処門は多くの人のしるところであるからである。第二の負処門は細の論議である。我はこれを受けないといったならば多くの人の知らないところである。」と。この思いを為し終わって、仏に答えていった。「クドンよ、あらゆる法を受けない。という事に関するこの見解もまた受けない。」と。仏は長爪梵志に語られた。「汝はあらゆる法を受けないという。この見解もまた受けないのであれば、すなわち受けるところは何もなく、多くの人々と異ならないではないか。何をして自らを高ぶらしてこのような驕慢の心を生ずるのか。」と。長爪梵志は何も答える事が出来なかった。
≪その時、長爪梵志は、優れた馬が鞭の影を見ただけで直ぐ覚り、直ちに正道につくように、長爪梵志もまたこのように、仏の鞭の影を得て、心に入れて、直ちに驕り高ぶりを捨て去って、自ら恥じて頭を下げ、このように思惟した「仏は私を律して二つの立場に立たされた。もし私がこの見解を受け入れると言ったならば、私のこの返答は戯言となり、自らの愚かさを認める事になる。この事は多くの人が理解できるところであろう。どうして自ら「あらゆる法を受けない」と言ったのか。今、法を受けると言えば、これは現実において嘘になり虚言となるからである。もう一つの立場は難解な論議がつきまとうものである。私はこれを受けないと言ったならば多くの人の知らないところになる。こうなった時の論議で負けた事はない。おそらくこのクドンとかいう出家者においてもそれは同じことだろう。」と。この思惟を為し終わって、仏に答えて言った。「クドンよ。あらゆる法を受けない。という事に関する汝が示したこの見解もまた受けない。」と。仏は長爪梵志に語られた。「汝はあらゆる法を受けないと言う。この見解もまた受けないのであれば、すなわちそれは受けるところは何もなく、多くの人々と異ならないではないか。何をして自らを高ぶらしてこのような驕慢の心を生ずるのか。」と。長爪梵志は何も答える事ができなかった。≫
自ら負処に堕ちた事を知って、すなわち仏の一切智の中において、敬いの心を起こし、信心が生じ、自ら思惟した。「我は負処に堕ちた。けれども世尊は、我が負けた事を表面に表さないし、是非もいわれないし、嫌な思いを生じさせることもない。仏は心が柔らかく潤っており、第一清浄であり、あらゆる論議の処が滅して、大いなる甚深の法を得ておられる。これこそ敬うべき事である。心が清浄なる事は第一である。仏は法を説いて、その邪見を断じようとされたのである。すなわち坐所において、塵や垢を遠離しておられる。諸法中に法眼浄を得ておられる」と。
≪長爪梵志は自ら墓穴を掘りその穴に落ちた事を知って、すなわち仏の智慧の中において、敬いの心を起こし、仏教を信じる心が生じ、自ら思惟した「私は論議に負け立場を悪くした。けれどもクドンという出家者は、私が負けた事を表面に出さないし、是非も言われないし、嫌な思いを生じさせることもない。この出家者クドンという仏は心が柔らかく潤っており、第一清浄であり、あらゆる論議の立場を滅していて、大いなる甚深の法を得ておられる。これこそ敬うべき事である。心が清浄なることは第一である。仏は法を説いて、その邪見を断じようとされたのである。すなわち坐処において、塵や垢から遠ざかり離れている。諸法中に法眼浄を得ておられる。」と≫
時に舎利佛は、この事を聞いて阿羅漢を得た。この長爪梵志は出家して沙門となり、大力の阿羅漢を得たのである。もし長爪梵志が般若波羅蜜の気分で、四句分別を離れて、第一義祭壇の相応の法を聞かなかったならば、小信すらなお得る事はできない。どうして出家の道果を得る事ができるだろうか。仏は、優れた機根を持つ長爪梵氏を仏法に導こうとして、この「般若波羅蜜経」を説かれたのであった。
≪時に舎利は、この事を聞いて最高の悟りを得た。長爪梵志は出家して僧となり、大きな力を持つ最高の悟りを得たのである。もし長爪梵志が般若波羅蜜を知ったそぶりで、四句分別を離れて、第一義である相応の法を聞かなかったならば、疑いばかりで信じるという事とは程遠かったであろう。そんな人間がどうして出家という尊い事柄を選び取る事があるだろうか。仏は優れた機根を持つ長爪梵志を仏法に導こうとして、この「般若波羅蜜」を説かれたのであった。≫
コメント