罪悪や煩悩の解釈と因果律

【はじめに】

仏教における罪悪や煩悩についてまとめていこう。

善行や健全さといった良い面を謳い推奨していく中で、その逆に、何が悪行で何が罪なのかも同時に教義として存在している。

そもそも善行も健全さもその対となる悪行や罪が存在しない限りはありえない。というのも、仏教における智慧の根幹となるものは「空」であり、「空」とは全ては相互依存で成り立っており実体は存在しないと捉える事が根幹にあるからである。そして生滅の理法が統括している。

相互依存で事象が成り立っていて生じたものは滅するのであれば、どんな事象であれ因果律は存在してその対となるものもまた存在する。

極端な例でいえば戦争が無ければ平和も存在しないといった事になる。

どういった悪の因果や罪が仏教には存在するのか。

人間の状態、生存領域を表す「六道輪廻」、世の中の汚れを表す「五濁悪世」、人間の罪、根源的欲望を表す「五悪」「五欲」、精神的な障害であり煩悩の中でも最も害悪とされるものを表す「三毒」、108ある煩悩の根本である「六大煩悩」、六道に封じ込める働きを持つ「五蓋(ごがい)」などである。そして、全ての根源となるのは「妄執」と「執著」である。掘り下げていけばいくらでも出てくるが、今回はこれらを簡潔にまとめていきたい。

【各教義の意味】

≪妄執≫

妄想がこうじてある特定の考えに囚われる事。虚妄ともいい、あらゆる煩悩から生じて苦悩を引き起こす。我(アートマン)は存在すると考える事。

≪六道輪廻≫

  • 地獄道・・・あらゆる恐怖に苛まれた状態。
  • 我鬼道・・・目の前の事象に固視して執着に囚われた状態。
  • 畜生道・・・動物的本能のままに判断し欲望のままに行動する状態。
  • 修羅道・・・暴力で解決を目指す状態。
  • 人道・・・平常心でいる状態。
  • 天界・・・喜びを感じる歓喜の状態。

智慧の無い愚者は上記の六つの生存領域を輪廻して、最高の喜びを感じ、地獄における大きな苦しみも受け、混沌の道を歩んでいる。

≪五濁悪世≫

  • 劫濁・・・時代の汚れ。他四つが起こる世の中。
  • 煩悩濁・・・貪り、怒り、妬み、嫉妬、執著、妄執など人間の浅ましさが蔓延る世の中。
  • 衆生濁・・・心身が弱く苦しみが多く、人間の資質が低下する世の中。
  • 見濁・・・誤った悪い思想が蔓延り、物事の事象における見解が歪む世の中。
  • 命濁・・・人々の生活が充実しない、意義のない虚しい生活になってしまう世の中。

そもそも世の中そのものが混沌であり智慧がない愚者はこの世の中で迷い苦しんでいる。

≪五悪≫

  • 殺生・・・痛快だなと思い楽しんで殺すこと。
  • 偸盗・・・他人の物を盗むこと。
  • 邪淫・・・性関係に淫らなこと。
  • 妄語・・・嘘をつくこと。
  • 飲酒・・・酒を飲むこと。

逆にこれらの悪行をやらない事を「五戒」という。出家者在家者に関わらず仏教に従事する者を対象としている。

≪五欲≫

  • 財欲・・・お金であったり物が欲しいという欲望。
  • 食欲・・・食べたい飲みたいという欲望
  • 色欲・・・快楽的な欲望。
  • 名誉欲・・・人に認められたいという欲望。
  • 睡眠欲・・・眠りや堕落に対する欲望。

人間の根源的な欲望で十八界を通して生じる。

≪三毒≫

  • 貪(とん)・・・無尽蔵の欲望や執著を貪る精神的障害。
  • 瞋(しん)・・・怒り憎しみ、心にかなわない対象に対する憎悪による精神的障害。
  • 痴・・・無知、誤解、偏見など理解や洞察を歪ませる精神的障害。

苦悩における根本的な原因であり、心の障害。煩悩に蔓延る毒。

≪五蓋(ごがい)≫

  • 欲愛蓋・・・執着の心。
  • 瞋恚蓋・・・怒り憎しみ敵意の心。
  • 惛沈蓋(こんじんがい)・・・倦怠、眠気の心。
  • 掉挙蓋(じょうこがい)・・・後悔、遺恨の心。
  • 疑蓋・・・仏説への疑いの心。

この心が欲望に駆られた心に蓋をして、瞑想の妨げになったり、煩悩からの脱却への妨げになったりする。

≪六大煩悩≫

  • 貪欲・・・欲望の心。
  • 瞋恚・・・怒り、憎しみの心。
  • 愚痴・・・恨みや妬みの心。
  • 疑・・・真理を信じない心。
  • 慢・・・自惚れ、高慢の心。
  • 悪見・・・歪んだ見解で物事を見る心。

煩悩においては108あるとされているが、その根源にある煩悩が上記の6つであるとされている。

【まとめ】

簡単に因果律としてまとめるならば下記のようになる。

全ての悪行や罪は「執著」と「妄執」から起こり、人間の根源的欲望である「五欲」から「六大煩悩」に繋がり、あらゆる煩悩に苛まれ虚妄に到る。「五濁悪世」の世の中で「三毒」に侵され「六道輪廻」の領域に入り「五蓋」により閉じ込められ、「五欲」「五悪」を貪り、苦悩の螺旋に陥る。

つまりは原点回帰となるが無明であること、三法印を知らない事が悪行や罪に繋がり、上記の苦悩の螺旋に落ちていく事になるのである。

その落ちた先に待ち受けるものは何か?という点においても色々な解釈がなされていて面白い。源信の「往生要集」などは地獄における描写が秀逸だし、龍樹の「大智度論」には悪や罪についての詳細がある。

時代は変われども、こういった根源的なものはいつの時代も変わらないのだなと思う。

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