仏教について

【ブログの背景】

 記念すべき仏教ブログ一投稿目。

このブログは自分の頭の中を整理するという意味合いも持ちつつ、自身の持つ仏教を明確にしていく目的で展開していこうと思ってる。

ということで一投稿目まずは、仏教とは?っていう基盤ともなりうる題目で初めていこう。

文献の言葉を使っていくのではなく、できるだけ自分の言葉で綴っていきたい。

日記を日々書いたりしてるし、文脈はその感じでいこうかな。慣れてるし。

【起源】

仏教。始まりは、言わずと知れた釈尊(ゴータマ・シッダールタ)が見出した、真理を知り苦悩をとり除く事が目的の宗教で約2500年前に始まったものとされている。

釈尊のwiki貼っとく。

釈迦 - Wikipedia

【自灯明法灯明】

釈尊の説いた理法が仏教すべての教義の根源であり、その釈尊の理法といえば「自灯明法灯明」だと思っている。

「自らを灯明とし自らを所依とし、法を灯明とし法を所依とせよ」という教えだが、これはきっといつの時代においても、周りに惑わされずに自分の人生を歩む上ですごく大事なことであると思う。

自灯明は自分の人生経験を通して自然と身についていき、知る前からすごく大事にしていた事だった。というのも、人生は結局、世の中を渡り歩いていくものであって、自分一人で完結することはない。ある人はあるのかもしれんけど。自分は大学出て社会人となり13年間サラリーマンをやっていた。社会で生きるという事は強くなければ生きていけない。日々トラブルと向き合う中で、本当に頼るべきは自分自身であり、常に問題解決は自分の内にあるものであり、また良い方向に導くものも自分の内にあるという事を学ばされた。この世は無常であることも。社会で生きていく以上、どうあっても個人で物事が解決することはない。必ず他人が存在する。だからこそ内側に目を向ける。それこそが充実した社会人生活を生き抜くための方法だと思っていたし今でもそう思っているしそれが正解として形になっていた。

だからこの教義は初めて知った時、心に深く刺さったし深みを与えてくれた。そして、法を学ぶきっかけになった。

この「自灯明法灯明」は釈尊最後の説法とされていて、ここから今に至る広大で甚深微妙な教義が展開されていったといえる。

【仏教の構成】

「自灯明法灯明」という始まりがあり、「三法印」という旗印、不変の真理があり、「縁起」を以て悟りに向かったり衆生救済を行ったりする事が仏教の基本的な展開である。

宗教という大きな立場からみて、仏教教義の根本となるものは「縁起」であって、これをどう解釈するかによって仏教内でも違いが出てくる。

縁起とは「此あるが故に彼あり。此生ずるが故に彼生ず。此なきが故に彼なし。此滅するが故に彼滅す。」という言葉通り、原因があって結果が生ずるという因果律の事である。そして、苦悩や悟りの因果律を観る事を仏教では「十二因縁」といい、この捉え方をもってして仏教的な因果の基本としている。

つまり仏教というのは本質主義であり、全ての物事、事象の仏教的な真理を見出すことで悟りや救済を行っていく宗教といえる。

そして「縁起」の本質は、ありとあらゆる全ての事象と存在は因果関係の相互依存により成り立っており、それら構成要素の主体となる実体は存在しない。という真理が働いている。

この真理を「空」という。

【おわりに】

私は浄土真宗本願寺派寺院の生まれで、浄土真宗も良い教義で、浄土論も好きだが、知っていくと浄土真宗は仏教の中でもかなり異質といえる。というより親鸞聖人の残した書物を基にその弟子たちが始めた、仏教を基軸にした新しい宗教といってもいい。

良い悪いという事はなく、単純に何が性に合うかという話なだけで、生まれの宗派というのは個人的にはあまり気にしていない。生まれではなく行いで決まると釈尊も言っている。

今現在仏教宗派は156存在するらしい。仏国土は広い。

「自灯明法灯明」の心を持ち、「三法印」を念じ、「空」をもって「縁起」を観じ、「浄土論」をして衆生救済に努める。それが私の仏道であると思っている。

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