前回の続き。
船に例えて愚者と聖者に親しむことがどういう事かを例えている節で、くだらない人には関わってはいけないという話しになっている。
学識が深く聡明で理法を知る人に親しみ学べば、識者、弁えを知る者、聡明な者となれる。しかし、理法を理解せず、嫉妬心があり、くだらない愚者に親しめば、真理を弁え知る事無く、疑いを超えず死に至る。水かさが多く流れの早い川に入ったならば飲み込まれてしまうがごとくである。聡明な者は堅牢な船に乗り舵をとり、多くの人を彼岸に渡すだろう。という話し建てになっている。
次の節では、スッタニパータにおける戒律が記されており、師となる人に対してどのような戒めをもてば人は正しく安立できるのかという内容になっている。
真理と自制と清らかな行いを心に思い、強情を無くし敬って妬まない事。師となる人の都合も考えて、適当な時に謙虚に話を聞く事。笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、偽り、詐欺、貪欲、高慢、激高、粗暴な言葉、汚濁、耽溺、驕りを捨ててしっかりとした態度で付き合う事。真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し、真理の定めを知れば精神の安定となり精となる。落ち着きが無くふらついているようであればその人は、いくら良き師に相まみえようとも知識も学識も増大することがない。聖者の説いた真理を喜ぶ人は行いでも心でも言葉でも最上のものとなる。そしてそれが心の安立になると説かれている。
笑いやだじゃれももまた良くない事に入ってるのは仏教って感じがする。
次の節は叱咤精励について説いた節になっている。
ひたすら修行せよ。眠って汝らに何の益があるのか。怠惰は死王に服する事だ。執著に囚われるな。時を虚しく過ごすな。時を虚しく過ごした者は地獄に落ち苦しむ。勤め励む事が己の苦しみを解き放つ。
なかなかに厳しいが、良い叱咤精励であると思う。だらだら過ごす時間は自分を蝕み謎の罪悪感を生む。しかし、睡眠欲の強い私にとってはなかなか耳に痛い精励だな。
次の節では釈尊の息子のラーフラを通して日々の送り方を説いている。
欲望の対象を捨てて信仰心により出家して苦しみを終滅する者となり、善い友と交わり、人里離れた静かなとこで坐臥をする。戒律を守り五つの感官を制し瞑想して、世を厭う者となれ。執著があると汚いものが清らかに観える。諸行無常を思えば心に潜む傲慢を滅ぼし心静まった日を送れるであろう。と説いている。
スッタニパータでは五欲というものを全て感官の対象として捉えているようだが、この頃は根本欲求などの概念はなかったのだろうか。五蓋が出てきたりするから、おそらく節によっては五欲の概念が感官の対象の事でない場合もありそうだ。どちらであっても問題はないけど。
次の節では死についてどう考えるべきかが説かれている。
死とは名称と形態とに関する妄執を断ち切る事で、長い間陥っていた黒魔の流れを断ち切る事である。と説いている。
黒魔とはなんの事なのか。欲望であったり、五濁悪世の世の中であったり人間生きているだけで背負わなければならない苦しみの事であろうと思う。
次の節では僧侶となった者が正しく世の中を遍歴するにはどうすればいいかが説かれている。
占いなどの吉凶の判断を捨て、迷いの生存を超越し、理法を悟って、享楽に対する貪欲を慎み、愚痴、怒り、物惜しみを捨て、執著せずこだわらず、諸々の束縛から離脱する事。生存を構成する要素の内に実体を見出さず、他人に惹かれず自立し、言葉でも心でも行為でも逆らう事なく正しく理法を知り、涅槃の境地に赴くならば、安立して正しく世の中を遍歴できる。人に尊敬されたからと言って高ぶったり驕ることなく、罵られても恨みや怒りに囚われることなく、暴力に屈せず疑いを超え煩悩を捨て去り、必要な事を知り、理法を如実に知り、なにものに対しても害することがなければ正しく世の中を遍歴できる。いかなる潜在的妄執も存在せず、願う事もなく、求める事もなく、高慢を断ち、あらゆる貪りを超え、信念あり、仲間に盲従せず、嫌悪と憤怒を慎み、煩悩に打ち勝ち、苦の生存を構成する諸要素を滅ぼす認識を完成させ、過去未来に囚われず、究極の境地を知り、理法を知り、極めて清らかな智慧があれば世の中を正しく遍歴できる。自らを制し、あらゆる束縛を超えれば正しく遍歴できる。と説いている。
さらに要約するならば、「自灯明法灯明」の心を持ち、「三法印」「十二因縁」を知り「戒律」で自らを制し、煩悩を打ち滅ぼして、理法に親しむならば正しく遍歴できるという事になる。こういうのを知ると、最古の仏典でも現在の仏教でも行きつくとこは同じになるように上手く体系化して言い伝えられてきたんだろうなと思う。
次の節が章の最後になる。この節では五戒ならぬ八斎戒を説いている。
不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒と、不摂生な食事、無駄な気飾り、地上に伏しての就寝というものを合わせて八斎戒としている。これは毎日ではなく、月に3日、清く澄んだ心で行うものであるとしている。
【まとめ】
これで≪小なる章≫が終わった。この章ではどんな生活をして、どんな人と関わればいいのかという話しがまとめられてたように思う。そしてその中で今でいう「三法印」が色濃く出ていた章でもあると思う。
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