スッタニパータ解説【八つの詩句の章~其の二~】

ここから質問者に対して釈尊が答えていく形式になっており、その一つ目は淫欲が招く破滅について説かれている。淫欲の交わりに耽る者は諸々の欲に囚われて教えを失い困窮者のように考え込み、もっていた名誉も名声もすべて失われる。このような人間は他人からの非難の声に恥じ入って、他人になじられた時には虚言に陥り自ら悪行をつくる始末である。一般に賢者と知られていた人であっても淫欲に耽ったならば愚者のように悩み、世の人々はその人を「卑しい人」と呼ぶ。と説かれている。これは今もなおニュースなどでよく目にする話だと思う。不貞などの不祥事に関しては、これだけ表沙汰になって色々な人が破滅しているのに、なぜ学ばない人間が多いのか。二千年以上前から問題視されていて今なおよく起こっている事のように思う。

次の節では前回ブログに続き偏見の話になっている。論議をする人間は互いに対論者を愚者とみなし、師などの他人の笠を着て論争を交わす。称賛されることを望んで論議するが敗北するとうちしおれ、論敵のあら捜しをして上げ足を取ろうとしているのに、いざ自分が相手から論難されると怒る。これらの人々には得意と失意があり、得られるものは称賛だけでそれ以外は何の役にも立たない。そして称賛されると心の中に期待したような利益を得て、大いに喜び、高ぶる。この心の高ぶりというのは慢心、増上慢心を起こし、自らを害する結果を招く事になる。論争で相手を打ち負かし得られる正当性は清らかなものではない。賢者はこの事を知り論争してはならない。と説かれている。人を打ち負かすことばかりを考えて論争してはいけないという話しで、こういった事も社会にでるとよくでくわす問題であるように思う。事を為すために話し合うのではなく自らの虚栄心を満たすためだけに話し、全体の流れを悪くし、協力し合えば簡単に為せる事が、そういう人間一人のせいで難しくなるような事はよくある。いわば腫物のような存在でどんな組織にも一人はいる。こういう人間は戦うなりみなで協力するなりして取り除かなければ事はどんどん悪くなる一方になる。

次の節では「空」の概念が出てくる。教義によって、学問によって、知識によって、道徳や戒律によって、清らかになる事ができる。とは説かない。そして、教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、道徳や戒律がなくても、清らかになれる。とも説かない。また、これは優れたものである。とも説かないし、これは等しいものである。とも説かないし、これは劣ったものである。とも説かない。固執する事なく、妄想分別する事なく、こだわりを捨て去っていれば、迷妄に陥る事はない。と説いている。まさに「空」の概念であると思う。物事の優劣を考えたならば、それらは衝突し合い偏見を生む。そういった事柄を離れる事が解脱に繋がるという事であると解釈できる。

次の節では、何によって何が起こるのかというような因果律の話建てになっている。争闘と争論と悲しみと憂いと慳みと慢心と傲慢と悪口は、愛し好む執著より起こる。ものおしみに伴い争闘と争論があり、悪口が起こる。愛し好む執著による貪りは欲望に基づき起こり、渇望が生まれる。世の中の快と不快によって欲望が起こり、怒りと虚言と疑惑も起こる。物質的存在の生起と消滅をみて偏見が起こる。そして、快と不快は感官(五感)の接触により起こる。名称と形態とに依って感官の接触が起こり、その欲求から「我がもの」という我執が起こる。と説いている。これは十二因縁が思い起こされる。業があり、認識があり欲望があり、執著がある。苦楽、善悪という概念があらゆる欲望を生むという考え方は別の宗教でもみられる考え方で、不変の真理の一つであると思う。

そして次の節でこれらの事をまとめている。世の人々は互いに自らの見解に固執して、言い争い、論敵を愚者と称して自らが真理に達した者だと言い合っている。もし論敵の教えを承認しないものが愚者であるのならば、この人々は自らの偏見に固執しているので全員愚者であることになってしまう。また、もし自らの見解によって清らかの者となるのであれば、その人々の中には知性の無い者は一人もいない事になる。自らの見解が真実だと決めつけて他者を愚者という人々は驕慢に狂い、偏見に陥って矛盾が生じている事に気づかない。また、もしも他人が自分を愚者だというから愚者になるというのであれば、その他人もまた愚者であることになる。賢者はあらゆる哲学的見解を捨て論争しないが故に確執が生れる事がない。中道こそが争いを生まない。「空」が安穏である事と解釈できる。

この節からどう修行していくべきなのかが説かれている。内的にも外的にもいかなる事柄を学び、それによって慢心を起こしてはならない。自己を妄想せず、外に静穏を求めず、心の内が静穏であるべきである。何ものについても欲念を募らせてはならない。眼で見る事を貪らず、卑俗な話から耳を遠ざけ、味に耽溺せず、世間におけるなにものにも固執してはならない。苦痛を感じても悲観せず、恐ろしいものに出会っても怯えてはいけない。生活がままならないからとて心配してはいけない。心を安定させ、怠けず、あとで後悔するようなことをやめなければいけない。怠惰を捨て、熱心に努め、ものぐさと偽りと談笑と淫欲と遊戯と装飾とものおしみと怒りと悪口と高慢と傲慢を捨てて、非難されてもくよくよしてはならない。誹謗してもいけない。遠回しに策した事を語ってもいけないし、不和をもたらす言葉、虚言を語ってもいけない。自分が他人よりも優れていると思ってはならない。よく気を付けてよく学ばなければいけない。自ら勝ち、他に打ち勝たれることなく、他人から伝え聞いたのではなく、自ら証する理法をみなければならない。世界はどこも堅実ではない。どの方向も全て動揺している。煩悩や苦悩のない場所など存在しない。世間における諸々の束縛にほだされてはならない。諸々の欲望を極めつくして、自己の安らぎを学べ。妄執に囚われず、真理から離れず、理法を知れ。知恵を第一に重んじて、善を喜び、あらゆる危難に打ち勝て。心を統一して暗黒に打ち勝て。と説かれている。

【まとめ】

今回のブログはなんか上手くまとめれなかったな。基本的には偏見がテーマにされており、三法印や十二因縁が含まれた内容で文章が為されている。不貞だとか無駄な言い争いだとか偏見だとかは遥か昔からあって、これからも無くなる事はないんだろうと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました