【空の概要】
全ての事象、物事は実体がなく、因縁(因果)という相互依存で成り立っている。
「有」というのも無いし「無」といのも無い。
あるのは因果といった複数無限の流れであり、存在するのは関係のみであり、それが「縁起」であって、「空」である。
まとめてしまえば、ただ全ては因果律から成っているもの。といった事である。
この「空」は仏教の真髄で、「智慧の完成である」とも表現されてたりする。
この「空」を理解するにあたって、大事な教義が、先のブログでも紹介した「十二因縁」と「五蘊」、そして、二つの立場から物事を観る「二諦」の三つである。
そして、仏法として「空」を確立するにあたって「八不」がある。
仏教において「般若経典」が「空」を説き示した経典群であって、お経の中で最も有名とされている。「般若心経」は短い詩句で明確に「空」を説き示したものであるとされている。
この「般若経典」も誰がいつ書いたのかは明確ではなく、翻訳訳注しか残っていない。それが今もまだ読まれていて、尚且つ真理を捉えているというのは感慨深い。
そして、龍樹(ナーガールジュナ)が、この「空」という概念を確立させ、体系化させたといわれている。
この龍樹は伝記を見る限りとんでもない奴だが、宗教的な才能は仏教史全体をみても特筆すべき能力を持った人であったとされている。
今となっては「空」を象徴する人物として真っ先に挙げられるのが龍樹である。
という事で私もまた龍樹の著作を読んで「空」を研究してる。
まずは今回のブログで「空」の体系を顕かにしていこう。
【二諦】
「空」を理解するうえで重要なものの見方として「二諦」がある。
真諦と俗諦で二諦というもので、真諦は仏教的な立場から見た真理で、俗諦は世間的な立場からみた真理という事である。
この見方がないと「空」を考察していく中で迷宮入りしてしまう。
そしてこれを簡潔に「空」にあてはめると、下記のようになる。
真諦 ー 全ての事象、物事は実体がなく、因縁(因果)という相互依存(関係)で成り立っている。
俗諦 ー 十二因縁、五蘊。
つまり十二因縁、五蘊によって因果関係を見て、その実体は全て存在は無く相互関係で成り立っている。と見るのである。
十二因縁や五蘊だけに限った話ではないが、今回はこれを例にあげる。
因果の中の因果律を分別的に見るものの見方が二諦である。
【八不】
この「空」の教義を確立したのは龍樹であり、代表作ともいえる著作に[中論]がある。
この[中論]は他教義の異論に対して否定をもって「空」の正しさを説いている論書で、般若経典と並んで、「空」を理解するうえで重要な論書とされている。
その冒頭の序文(帰敬序)に「八不」が記されている。この八不は本全体を要約したもので、二諦における真諦を表したものである。
つまり仏教的な真理の見解のものであって、世間的な見解を離れた詩句である。
「何ものも消滅することなく(不滅)、何ものも新たに生ずることなく(不生)、何ものも終末あることなく(不断)、何ものも常恒であることなく(不常)、何ものもそれ自身と同一であることなく(不一義)、何ものもそれ自身において分かれた別のものであることはなく(不異義)、何ものも来ることなく(不来)、何ものも去ることもない(不出)」
不滅、不生、不断、不定、不一義、不異義、不来、不出の八つをもって八不としている。
あらゆる事象に対して、そんなものは無い。全ては相互関係で成り立っているに過ぎない。という事を八個の否定を以て説き示しているのが八不である。
この[中論]を読んでいると「空」が屁理屈にしかみえなくなってくるが、それも含めて面白い。龍樹は仏教史の論破王のような感じになっている(笑)
なんか「空」がそんなんで証明されるのも癪な気もするけど、「空」の性質上、否定を以てしか証明する事ができないからしょうがない。
【まとめ】
「空」の教義はその「空」の定義だけみてしまえば、そんなに難しいものでもない。ただ、他の仏教教義を掘り下げていったときに、難しくなるし理解も深まっていく性質がある。さらに否定を以て「空」を証明している以上、対となっている教義も理解しなければいけないという事になり、「空」の体得は困難を極めるものとなっている。
そして、「空」こそが縁起そのものなのであって、仏教教義の本質であるといえる。
この「空」の良いところは、偏ったものの考え方が無くなり、何事においても節度をもって考えれるようになることだと思っている。
苦悩の類は執著と妄執から成るあらゆる煩悩からきている。そういったあらゆる煩悩を緩和してくれる思想が「空」であるといっていい。
私は「空」を観ずる事で偏見が無くなり、思想、行動、精神においても節度をもてるようになったし、その事もあり物事の見解も広がったように思う。
ちなみに「空」を観ずる瞑想方法を「析空観」という。
「空」というのは世の在り方の本質であり、因果の流れを読み解き、縁起を知るものである。
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